「因果応報」の法則

仏教

因果応報

年末から『善因善果・悪因悪果』というものを何度か掲載させていただいていますが、

勉強する中で、また同じような意味の言葉に出会った。

その言葉は「因果応報」という言葉である。

良いことをすれば良い結果が表れる。

そう考えると、人間は良いことをしたら、良いことがすぐ来ないかなぁ~っとつい期待してしまう。

しかし、これでは駄目である。

良いことをしたからすぐ結果を求める心は、商取引と同じである。

良いことをしたから良いことが起きるように願うのは、

良いことをした心が、すぐに結果を求める為にした行為になってしまう。

良いことをして、その人が喜んでほしい。幸せになってほしいという純粋な心でやったことが、そうではなくなってしまう。

良いことをすれば良い結果が表れる

良いことをするということは、その人に喜んでいただき、やってよかったという自分の心にも幸せ感が湧いてくる、喜びが湧いてくることである。

長い人生トータルで考えると、必ず良いことをすれば、良い結果がもたらされる。

そう考えると因果応報を自分自身の人生、自分の運命として考えればいいのではないかと思うのです。

長い人生で捉えれば、もし良いことが起きたのなら、それはあなたの両親が良いことを積み重ねた結果があなたに起きたのかもしれない。

両親や自分の兄弟、恩師、友人の善因が、自分に巡り、良いことが起きたということもあると思います。

つまり我々を作っている要素には、その人が持って生まれた、又は親から引き継いだ運命と、その人の現世における行動によってつくられる業(カルマ)がなす現象の2つによって、人生が作られているのだと思います。

良いことをすれば良い結果が表れ、悪いことをすれば悪い結果が表れる。

『因果応報の法則』と言っていますが、言い換えれば、自分の思いのままに結果が表れる。

自分の思うように行動したことが原因となって結果が生じるということです。

人生は自分の思うがまま

良いことをしたから、すぐに良い結果が表れるということではなく、自分の人生を長いスパンで考えて自分の運命として捉える。

善きことを思い、善きことを行う。

運命の流れを善き方向に変える。

長い人生において、すぐに結果を求めるのではなく、運命として捉えることができれば、必ず答えが出てくる。

もしかしたら自分の息子の代に出てくるかもしれない。

または、自分の人生の終わりに、「あの世」も含めて考えれば、自分の心までが清々しい良い気分、幸せな気分になり、満足の人生を歩めたと思うのではないのでしょうか?

人生とは善きことを重ねることで、自分の運命は変えることができるのです。

80歳の今だからこそ思う、皆様に何より私が伝えたいことです。

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