仏教と私

仏教

私は、仕事の空いた時間の合間に仏教の勉強を始めて約1年になります。

仏教を勉強し始めたきっかけ

なぜ仏教の勉強を始めようと思ったのか。

キッカケは、私が80才になる時に、

”このタイミングで生まれ変わり、第二の人生を、仏教の教えを活かした人生を歩んでいきたい。特に親鸞聖人の考え方を取り入れた生き方をしたい”と思ったことでした。

親鸞聖人は生誕して約850年になるのですが、鎌倉時代に、なんと90才まで生きたとのことで、大変ビックリしました。

あの時代であれば、平均で考えれば寿命は40才くらいかと思うのですが、それが平均寿命の2倍を超えて生きたということは、親鸞聖人の生き方が、人間として正しい生き方になっていたからではないでしょうか?

人間として生まれるという奇跡

また私はこうやって自分が人間として生誕できたことは、奇跡だと思っています。

皆さん、自分が動物でもなく、植物でもなく、人間に生まれることは、一体どれほどの確率かご存知でしょうか?

なんとそれは、”1億円の宝くじに1万回連続して当たるくらいまれな人生を得たことに匹敵するくらい”にすごいことなのです!!

まさに人間に生まれるということは、奇跡の奇跡!!

私は仏教の勉強をすることで、そんな奇跡の奇跡に巡り合えたことを、もっともっと大切に、

そして自分の祖先、特に自分の両親に最大の感謝をしなければならないことを知りました。

更に、これらの人生に対し、生きる意味を知り、感謝の気持ちをもって生きることの大切さを学びました。

私たちは様々な偶然とも思われる出来事に恵まれ、人と人は巡り合います。

しかしこの世の中に偶然はありません。

私たちに巡り合ってきたのは必然であり、必然ということは必ず理由があって巡り合うということなのです。

そして自分では気づいてないかもしれないですが、

多くの目には見えない必然の助力によって助けられていることを知ること、

その必然の助力に助けられて、今日の自分が生きていることを知るということが重要です。

目に見えない、多くの助力に気づく人間に成長すること、

それに気づくためには、もう一人の自分、普段心の奥深くに眠っている本当の自分に気づくこと、

こういったことを感じることができる人間に成長するには、

様々な経験を経る必要があるということを知りました。

『善因善果』『悪因悪果』

仏教の本には

『善因善果』

善い因(種)をまけば、善い芽が出て、幸せな人生となる。(恵果=幸せ)

その反対に、

『悪因悪果』

悪い因(種)をまけば、悪い恵果(不幸)が現れる

と教えてくれています。

自分のちょっとした日常の行動が、いずれ積み重なっていい結果にも悪い結果にもなり、自分に戻ってくるということですね。

皆さんは、幸せな人生を送りたいですか?

それとも不幸な人生を送りたいですか?

ほとんどの方は幸せな人生を送りたいと思うでしょう。

私は人よりもちょっと長生きで、充実した人生を送らせていただいています。

健康方法や人間関係の構築方法も自分で築き上げた確かなものがありますが、

こと仏教に関しては約2600年前に誕生して、その間ずっと人々の生活の基盤になりえた確かな教えがあります。

これは私も仏教を学び、本当に実感しました。

次回は私が仏教からいただいた大切な学びをより詳しくお話しさせていただきます。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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