煩悩の心

仏教

私は今年の5月で81歳になる。

残された命をもって生まれ変わりたいという思いで仏教の勉強を始めた。

仏教の勉強を始めたといっても、自営で本業をやっているので、夜の空いた時間に仏教の本を開いて、

その意味を自分なりに解釈して仏教の教えの中から自分が幸せになるための考え方を見つけて生きていこうと思っている。

仏教の教えで良かったこと

仏教の教えで一番良かったのは、

自分がこの世に生まれてきたことは、

1億円当たる宝くじに連続して100万回当たるほどの超楽喜(チョーラッキー)なことだ

教わったことである。

確かにそうであると考えるようになれた自分がとても幸せに感じられる。

煩悩

そして二つ目は、『煩悩』について学べたことです。

人間には絶対なくならない『煩悩の塊』が3つあると言われています。

その一つ目は「貪欲」、二つ目は「怒り」、そして三つ目は「愚痴」です。

一つ目 「貪欲」は欲しいと欲し、食べたい、飲みたい、お金がほしいという心。

二つ目 「怒り」は自分の思い通りにならない、

     他人の理解できない行動に対して憤る心。

三つ目 「愚痴」とは、相手の本当の愛の心がわからないで、

     羨んだり、つい愚痴ってしまう心

     自分より勝っている心をつい妬んでしまう、相手の才能や金や財産

     名誉や地位を快く思えない心

このように底の知れない欲の心や、怒りの心、恨みや妬みの愚痴の心が、生きる上での苦しみを生じさせます。

自分の利益のみしか考えない、他人はどうなろうとも知ったことではない、と自分の思わしくない心がつい出てしまう。

お釈迦様は、それを『我利我利』と教えています。

お釈迦様は、このように人間の心には「煩悩」といって、一生かかっても消えない心があると教えています。

『煩悩の心』を解消するには…

私はそこで一生かかっても消えない『煩悩の心』をどう解消するかを考えました。

一生消えない心であるならば、自分流の考え方でこの煩悩を消してしまえばよい。

それはエネルギーの大きさで考えればいいと考えました。

『煩悩の心』のエネルギーより、自分の生きるためのエネルギー、例えば「感謝エネルギー」の方を大きくしてしまう。

「煩悩の心』より相手に対する感謝の心の方を大きくする、

そして祈る心で感謝の気持ちを大きく育てていくことが大切である。

そうすれば『煩悩の心』は自分の表面にあまり出てこなくなります。

煩悩の心を意識しないで忘れてしまうことにしようと思いました。

つい愚痴・怒りが頭に浮かんだときは、祈りの心で消してしまおうと自分の心に言い聞かせました。

私はこのような方法『煩悩の心』と向き合い、日々解消していますが、

こんな考え方はいかがでしょうか?

何か皆様で『煩悩の心』を忘れてしまう方法があったら、私に教えてください。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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