自業自得

仏教

自業自得とは

仏教を勉強していると、自業自得の言葉がよく出てくる。

この世の中は大変生きづらく、苦しみが多い世の中である。

その世の中でなんとか一生懸命やって生きていきていこうと思い、スマホとかパソコンを見る機会がある。

ついスマホを開くと、興味をそそられる投資のお誘いのメールが入ってくる。

よーし、少しやってみるか!その投資にうっかりのってしまうことがある。

するとそれはサギで、お金をだまし取られてしまう。

そのことを人に話をすると、自業自得だと言われる。

自分のやった行為は自分で責任をとるしかない。

つい儲かると思ってやったのだから自分が悪い、

私にバチがあたったのだ、

自分のやったことは自分の責任だと言われてしまう。

投資、運勢、手相、風水などと人に呼びかけ、 お金をだましとる時代である。

まさしく、自業自得で片付けられてしまう。

しかし本当の意味は、『自業』は自分の行い、『自得』とは自分の結果、自分の運命という意味です。

ようするに、自業自得とは自分の行いが自分の運命を生み出すという意味なのです。

しかし一般的には、悪い運命・不幸・災難に見舞まわれた時に使う言葉だと思っている人が多いと思います。

私もそうでした。

だからよーく考えないでやったのだから、自分の責任、バチがあったのだと思われることが大変多いのです。

だから私自身も、そういう意味だという固定概念が自然と働いてしまうのです。

自分の行いが自分の運命を生み出す

そのため、私と同じような考え方で固定概念が働いてしまう、そういう場合は、自業自得という言葉を自分の脳から抜き去ってしまってはいかがでしょうか?

そして自分の固定概念に対し、

試練に挑戦してそれに打ち勝つために、宇宙の神は良きチャンス・奇跡を私に与えてくれたのだ

と思わせるのはどうでしょうか?

実際は自業自得とは、オリンピックで頑張って優勝して金メダルをとっても、自業自得というのです。

しかし私の脳は間違った固定観念が働いてしまい、自分のおかした罪でバチがあたったのだと解釈してしまうのです。

しかし、『自業自得とは本来、自分の行いが自分の運命を生み出すという意味だからこそ、

今こそ知らず知らずのうちに凝り固まってしまった固定概念と向き合い、それをひっくり返すいい機会なのではないでしょうか?

自分の運命は、自分の行いが生み出すのです。

今ここから。

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